中学時代に天文に目覚め、1965年の池谷・関彗星で彗星の魅力にとらわれ、未知の彗星発見にあこがれ、郷里の群馬県松井田町(現、安中市)に自作の観測所を建ててしまった。大学卒業後、教員になり、学校や地域でクラブや同好会を創った。
また平行して、高校時代に学校に設置されていたアマチュア無線にあこがれ、大学で免許を取り、勤務先の学校でクラブ局を設置した。自宅を構えてからは右の写真の鉄塔をあげ、日夜の交信に至る。当時のすべてのDXCCの全交信を終わり、無線で暇になっていた頃、出口氏(JI6KVR)の影響を受け、無線の中の世界の島々との交信にあこがれるようになり、IOTA Chaserとなってしまった。 |
固定局 HF−1kw 50MHz−500w 移動局 全バンド 50w |